三宅島を一周していると、「1983年の噴火で溶岩が都道を突っ切った場所」というジオスポットがある。
溶岩流で自動車整備工場の自動車が溶岩に埋まった、という話なのだが
車かも?ぐらいには現状見えています。
この「溶岩流が都道を突っ切った」という場所には逸話があって、都道の下の海岸沿いに広がっていた阿古集落の人たちを乗せたバスが、「間一髪、避難し終わった直後」に溶岩流が押し寄せたというもの。
都道から海岸を見下ろす位置に、ありし日の阿古集落の写真が看板になっている。
ほぼ同じ位置から眺めた写真がこちら。
集落の全てが跡形もなく溶岩に飲み込まれている。
1300名いた住人が全員無事避難した、ということで、噴火の凄まじさ、恐ろしさを伝えるだけではなく、人々の冷静な行動を讃える場所として、語り継がれている。火山とともに生きる三宅島ならでは。
この、阿古集落跡地はご覧の通り完全に溶岩に飲み込まれたままなのであるが、その溶岩流の上を歩けるように「火山体験遊歩道」なるものが整備されている。
ここがまた、ちょっとすごくて、私には衝撃的だった。
前掲の写真の通り、ここにはたくさんの民家や商店が立ち並んでいたはずで、いうならば「被災地のど真ん中」なのだけれども、こうやって「体験遊歩道」により、「観光」できるようになっているのである。
歩いても歩いても、ご覧の通り溶岩に埋め尽くされた真っ黒な土地があるばかりで、「生活」とか、「災害」とかに対しての価値観が、ぐらりと揺り動かされるような感覚。
ジオスポット看板はこれでもかというほど立っています。
溶岩流に飲み込まれた小学校・中学校の校舎もそのまま。
火山弾
溶岩樹形
1940年、1962年、1983年、2000年と、100年のうちに4回も噴火の起きている三宅島は、噴火のたびに集落のありかたも、地形も、がらりと形を変える。嘆いている暇なんてなくて、「火山すげぇな」と普通に観光資源に変えて生きていく感じがあって、それも含めてかっこいいなぁ三宅島。と思ったりした。
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