日本でおそらく唯一ぐらいのエスカレーター同人誌『別冊東京エスカレーター 08』の表紙は「ロイズ・オブ・ロンドン」です。有名な建築であり、エスカレーターファンにとっての聖地であり、特にその魅力について私が語るまでもない、と思いながらも、ページの都合上、結構な文字数を要する感じになって無理やり文章を連ねた結果、我ながら「そうだったのか!」という発見があったので、ここに転載しておきます。
同人誌づくりってそういうことがあるのでおもしろいです。
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ロイズ・オブ・ロンドン行ってみようかな、という人はこのへんの旅行記を参考に。(参考になるかな)
ロンドンにすごいエスカレーターの建物があるぞ、というのは、エスカレーター探訪趣味を始めてわりと初期の頃に知り、設計者が私の大好きなパリ、ポンピドゥーセンターと同じ、リチャード・ロジャース氏であるということで、ずっと行きたいところリストナンバーワンに掲げていた。しかし、いかんせん、1年に1度の建物公開日(OPEN HOUSE LONDON)にしか内部の見学は不可能ということで、観に行くまでにじつに4年を要した。
有名な建物であるので、今号の表紙のような写真を目にしたことがある方も多いのではないかと思うが(マツコ・デラックスさんはご存知でした)、実際に現地を見てわかったことには、リチャード・ロジャース氏はどう考えてもエスカレーターが大好きだな、ということである。このような気持ちになるのは、ニコルソン・ベイカー氏のエスカレーター大好き小説『中二階』を読んで以来。なにしろ、エスカレーターの構造部を囲う外装板の側面をわざわざスケルトンにして、エスカレーターの中身をよく見えるようにしている。そして、さらにはその「内側をライトアップ」することによって、ステップの動きをこれでもかと見せつけんばかりなのだ。そして、よく見るとそれ以外のデザイン的な装飾は一切ない。黄色いラインが光り輝いてとても綺麗なのだけれど、それだってステップについているデマケーションラインのおなじみの黄色なのであって、「デザイン」とか「飾り」とかではないのだ。徹底しているなあ。
このように構造そのものをむき出しにして、それを愛でる、という考え方は、現代ゴシック、と呼ばれているそうである。そういうわけなので、この建物を見ていると、「エスカレーターそのものの美しさ」について、あらためて考えさせられることになる。
普通のエスカレーターが「光る」ポイントは、基本的に足元を照らすフットライトと、上から照らすダウンライト、それに丸ボディ全照明型に代表される欄干部分のライトの3種類ある。フットライトには、デマケーションラインと同じように、足元をよく見えるようにして巻き込みや転倒を防ぐという大きな役割があるし、全照明型のライティングは、デパートなど狭い場所にエスカレーターをつけるときに暗い印象になってしまうのを払拭する目的があったと聞いた。つまり、光るエスカレーターというのは、「必要に迫られて」光っている。これは、たとえば夜間の橋梁のライトアップとか、タワーのライトアップとは全く違う。橋がライトアップされるのは、その橋の構造を愛でるためだけど、エスカレーターの場合、そういう目的のためにライトアップされてきたことは、これまでなかったのだ。エスカレーターというのは建物の中では「本来、見えなくてもいいもの」だったといえる。
それを踏まえて、あらためて、ロイズ・オブ・ロンドンの輝きについて目を向けてみたい。エスカレーターがあるのは、天井から自然光が燦々と差し込む、とても広大な吹き抜け空間の真ん中で、光は本来、必要ないといえばない。そして、前述のとおり、このエスカレーターが光るのは、フットライト部分や欄干部分ではなくて、「内側の、構造部分」なのである。これは完全に、橋梁ライトアップと全く同じで、エスカレーターの動きを観察し、楽しむための光、未だかつてエスカレーターが手に入れたことのなかった、「それ自体を楽しむための光」なのだった。感涙。だからここでは、紛れもなくエスカレーターが大主役で、上から下から真横から、ステップがゆっくり動いていくのをぼーっと延々と眺める、という私のような行為が、奇特でもなんでもない通常のことなのである。この世の中に、そんなふうにエスカレーターが本気で大好きな人が私以外にも(ベイカー氏を含めて少なくとも2人)いて、エスカレーターを楽しむための場所が存在している、ということが嬉しい。ロイズ・オブ・ロンドンは私にとって、そのような救いの場であり、紛れもない聖地なのである。
ご興味を持たれた方は、同人誌のほうもよろしくお願いします。08は、新しいレンズで撮りに行った写真が我ながらびしーっと決まっていて素敵です。
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