東北に行ってきた。
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4列シートで45人乗りのバスはほぼ満席。東北道をゆくので、まずは堀切JCTから荒川沿いの高速道路を消灯後もカーテンを開けたまま走る。私が東京でいちばん好きな風景と言っていい。夜行バス特有のカーテンぴしゃーっと閉めて眠りを妨げる要素許すまじという空気はなかった(のでふつうのひとにはまず寝られないと思った方がよいともいえる)。
矢本のPAに着くと言われていたが、2時くらいから一般道を走りはじめて4時に気づいたらバスは動かなくなってた。そこが目的地の道の駅「上品の郷」だったらしい。トイレしかない矢本のPAに対し、ローソンもデイリーヤマザキも物産コーナーも銭湯もある。6時半から身支度&朝食をとるよう指示があり、7時半から作業現場に向けて出発した。
今回、作業をすることになった雄勝湾一帯は、硯の名産地で牡蠣や銀鮭などの養殖漁業が盛んな、ものすごく自然豊かで風光明媚な場所である。北上川沿いのまんが日本昔話のオープニングみたいな超のどかな風景をみながら、東北がにっぽんのふるさとっていうの、わかるわ~と初めての土地にいきなり郷愁を感じていたが、雄勝湾に近づくと、津波の押し寄せた痕跡が一帯に広がっていた。津波=海岸地帯という勝手なおもいこみがあったので、こんなに山に囲まれた湾の奥にまでそれが到達したのだということを、ここにくるまでまったくしらなかった。
もの言わず走るバスのすぐ外に、テレビでみたようなありえない場所にバスや船が乗っかった建物や、瓦礫の山がある。シャッターをきりながら、「この空き地には津波がくる前、家が建ち並んでたんだ」ということにいきなり気づいて手がとまった。
このあたりの拠点だったのだろう、雄勝インフォメーションセンターがこのような状態で、ボランティア拠点のようなものはここにはない。予定どおり牡蠣の養殖場へ貝殻洗いの作業に向かう1班とわかれて、余り組の2班は迎えにきてくれた地元の漁師の方の案内で、対岸の漁師町に向かうことになった。
その漁師さんも、「いきなりひとが来るって言われても...俺らもただの漁師でべつにこれを本業でやってるわけでもないし...」と困惑気味である。そりゃそうだろうとわたしも思う。しかもここにいるのは、ボランティアのプロでもなんでもない、興味本位で東京からやってきた観光客が20人、うろうろしているだけである。申し訳ない。添乗員さんはがけくずれの地点で全員をおろしてバスでどこかに戻っていった。それでも、現地につくと漁師さんたちが笑顔で迎えてくれ、いちばん元気なおじちゃんが、てきぱきと作業の指示をしてくれた。
しかも帰り際、網で銀鮭を簡単にすくうと有志にお土産としてもたしてくれた。
漁師さんたちの家も、船も、ほとんどが津波で流され、残っている家もひとが住める状態ではない。街に、作業のために集まったひと以外の気配はなかった。
おじちゃんの指示で、道に舞い上がってしまった泥の除去、瓦礫の除去などの作業をお手伝いする。
後半は、このあいだの台風で流れ着いたという海岸のゴミを除去する作業。黙々と、20人で2時間弱。すっかり綺麗になった海岸に、それなりの達成感はあったが、「20人でやってきて、たったこれだけか」という気持ちもある。ボランティアツアーはたくさん組まれていて、目的地によってはもっと組織だって大量の人数でかかることもあるようだが、いずれにしてもだ。いきなりやってきてさっさと帰っていくボランティアの作業なんて本当にちっぽけなものでしかない。それでもおじちゃんは何度も「本当に助かった、ありがとう」と言ってくれ、銀鮭を持たしてくれ、「またきてね」と言ってくれた。
田舎の人情もすてきな自然もこれっぽっちも愛してない私だが、日本海育ちには信じがたいほど、海がおだやかで深い蒼なのだ。
本当はお昼ご飯をはさんで14:00までの作業のはずが、12:00前で作業を終えて、昼はバスまで戻ってお弁当を食べ、そのまま引き上げることになった。お昼を食べた高台で海が見えるなぁ、綺麗だなぁ、と写真を撮っていたら、地元の方がバスまで地震当時の話をしにきてくださった。「津波のとき、みんなでここへ逃げてきたんです(東北弁で)」と。
・津波がくるのがわかっていたのでみんなでここまで逃げた
・怖いとかではなく、とにかく、とまってくれ、とまってくれ、と思っていた
・堤防をこえたらもうなにも考えられなかった
・家は200軒あったがほとんど流され、8名が亡くなった。家を守りたいと最後まで残ったお年寄りだった。
・女川の様子をあとからきいて、ああ、うちはまだよかったほうなんだなぁとおもった。
・女の人はただただ泣き叫んでいた。男はもう、泣けないし、しかたないよね。
・海の瓦礫撤去は終わったが、船はない。
・半年たてば、家も、船も、あると思っていた。行政がここまで遅いとは思わなかった。
・4,300人の人口が、いまは1,000人くらいしかいない。なんとか戻ってきてほしい。
・雄勝ではこれから、ホタテ、牡蠣、銀鮭、ワカメなんかがとれる
・養殖オーナーもやってる、新しい形で。
・1回死んだものとおもってるから、これからみんなでやっていく。
話してくれたのは、合同会社オーガッツ(いい名前)の代表、伊藤さんだった。
http://oh-guts.jp/
オーガッツは、「そだての住人」という養殖オーナー制度をやっていて、単なるオーナーじゃなく漁業体験に参加できるようにするらしい。とにかくこれから、新しく、おもしろい取り組みをしていくんだという、意欲にあふれてる。淡々と、しかし当日のことを話すときは声を詰まらせながら話してくれた伊藤さんの顔、漁師さんたちの顔、深く蒼いあの海を知ってる私にも、もはやまったくひとごとでもきれいごとでもない。
東京のひとに、なにをしてほしいですか、という質問に、「とにかく雄勝がこれからどういうふうに復興するか、みていてほしい」と語った伊藤さんの言葉が胸に響いた。
ボランティアツアーでは、のこのこ東京から大手旅行会社のパックツアーでやってきた観光客、それ以上にもそれ以下にもなれない。偽善に浸る余地すらない。それは覚悟しておいたほうがいい。
それでも尚、私が
「そんなつまらんこと気にしてる暇があったらいますぐ申し込んで今週末にでも行ってきなよ」
とオススメするかといえば、行ってみないとなにも始まらないというか、「バスで片道8時間かけて行って、かれこれ3時間程度のボランティアをやって、なんの意義があるのか」とか考えてたつまらん私が、ゼロかマイナスかでいうと、どちらかというとゼロどころかマイナスだったと思うからだ。
こんなことでもなければ、東北のことをほとんど知りもせず、雄勝の名前すら知らず、ほとんど他人事のようにして一生過ごす気だった。このツアーは誰のためでもない、そんなおまえのためにあるのだよ。
いまはがんばろう日本でも、がんばろう東北でもない。
がんばろう雄勝そして私。