エスカレーターマニアの移動の記録

エスカレーターマニア。船に乗る人。原付で旅をします。

クリスマスの『エスカレーター技術発展の歩み』レポート

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先日の『エスカレーター技術発展の歩み』講座レポートをお届けするよ!


国立科学博物館の産業技術史講座とは

会場でもある国立科学博物館産業技術史資料情報センターでは、定期的に、一般に聴講できる「産業技術史講座」を開講しています。

これ、なにかというと、特定分野の市井の専門家であり、いまは現役引退なさっている方を支援研究員とし、1年間、その分野についてとっくり研究していただき、その成果を本にまとめたり、講座で発表してもらうという、いろんなマニアの皆さんにはたまらない取り組み(毎回満席の様子)なのですが、このタイミングでついに「エスカレーター」キター!!というわけで、拝聴してまいりました。なんか、私はつくづく、日本に生まれてよかったなーと思います。


そして今回、2時間というわずかな時間の中で、エスカレーターについてもてる知識をあますことなく紹介してくださったのは、M社(ばればれ)で長年、エスカレーター技術開発に携わってこられた後藤茂研究員であります。


ではさっそくレポートいってみよー!(まだはじめのクリスマス空騒ぎテンションが...)


レポート1 エスカレーターの起源 レノ式とシーバーガー式

エスカレーターの仲間であるところの階段の起源とか、エレベーターの起源は非常に古く、紀元前4500年...とか、アルキメデス...とかだったりするんですが一気にとばしまして、エスカレーターの原型といわれるものが誕生したのは1900年、レノさんとシーバーガーさんという2人の人物によるものです。


レノさんのクリート式っていうのはこういうの(いただいた資料には写真満載なのですが、ここは手描きでいきます)

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...いつもながらこういうのって言われても...な絵心のなさで申し訳ないですが、要は、ナナメの板が何枚か重なり合って上まで運んで行くというタイプです。わかってもらえればいいです。

まぁ、これはないわな。ということで現代には引き継がれず。


シーバーガーさんのは現代のに近いステップ型なんですが、踏み板に「クリート」つまりは溝がついていなかったので、進行方向に降りるとすいこまれそうであぶないため、横降り方式だったそうです!って、あの溝ってそういう役目だったんだ~みたいな。

1922年には、クリートのついたシーバーガー改良形が出ました。

ちなみにこの時代のエスカレーターはみんな木製。


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おお、クリート、もちろんちゃんとついていますとも。@メイシーズ


ちなみに「エスカレーター」はラテン語の「esca(階段)」と既にあった「elevator」を組み合わせた造語で、シーバーガーさんが商標登録し、オーチスが1910年買い取り、1950年には一般名称になってるということで商標権放棄、ということであります。東京エスカレーターとかおもいっきし名乗ってる手前、登録商標だって言われたらどうしようかとおもったぞ!


ここで驚きなのが、エスカレーターがいまの形になる前から、1906年にはレノさんがらせん形エスカレーターをロンドン地下鉄で作っちゃってるという事実。。危ないから1911年にすぐ撤去されたんだそうですが......1906年て、早!シーバーガーの螺旋形設計図も1911年に特許をってるそうです。ていうか、後藤研究員が「我々からしてみれば、まだエスカレーター自体の型が確立していない時期から、螺旋形を構想していたという事実に非常に驚くわけですが...」と興奮した口調で話されていたのですが、スパイラルのなんぞやを知り「うんうんそうだよねー」と深くうなずいている目測で半数くらいのエスカレーターファン聴講生と、え、なになに螺旋ってなんかそんなすごいの?的な残り半数の一般聴講生の皆さんの対比がとてもおもしろかったです!私の妄想かもしれませんが!


日本最初のエスカレーター

さて!日本にエスカレーターがやってきたのは1914年!って発明されてからけっこうすぐだね!!東京大正博覧会の会場であった上野にお目見えしたのだそうであります。

これね、いただいた資料に写真が載ってるんですが、屋外で、トンネル系で、私の非常に好みのタイプです。

いちばん近いので言うとこれかな...


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新宿西口の屋外トンネル系。脳内イメージではかなり近かったんですがこうして載せてみると完全に現代でした、すみません。

私の部屋まできてくれれば、資料をお見せできます。


で、ここで感動したのが、宣伝絵葉書。エスカレーターが「ーターレカスヱ」ってなってるのもだいぶツボなんですが、キャッチコピーに『実用と娯楽との併用機関』って書いてあるんですよ!それ!それが私の言いたかったこと!要は『都会のジェットコースター』ってことじゃないですか!(いやちがうか)


博覧会用エスカレーターは半年で撤去されましたが、おなじく1914年に、三越呉服店、現在の日本橋三越に日本の1号機が設置されました。これは、横降りシーバーガー式。上野でも、日本橋でも、『日本初のエスカレーター』が設置された場所。なんて説明がされたりしますが、そういうことだったんですね。


日本メーカーの1号機は、1935年に新宿伊勢丹本店で三菱1号機、1937年に大阪の大鉄百貨店で日立1号機がそれぞれ設置されています。

ただ、ここで戦時中、鉄の供給のためにエスカレーターが次々撤去される「エスカレーター空白の時代」が。。

戦後は、1949年に松坂屋で日立の戦後1号機、1952年に白木屋(居酒屋ではない)で三菱の戦後1号機が設置。そして、1953年には日本橋三越で、三菱の全面照明型が設置されました!


この記念すべき全面照明型!これは、エスカレーターを設置することで客足が伸びたというデパートからの要望で、日本メーカーが世界に先駆けて開発した「デパートにふさわしい、明るいエスカレーター」。なにをかくそう、我らが丸ボディでありますよ!

ああ、やっぱり、丸ボディ機は日本発の技術だったのね...しかもデパート発祥だったのね...そりゃ、こんだけエスカレーター追ってたらそのくらい気づくよね、でも当たってて嬉しい!!

講義をレポートしたメモ用紙にも、この箇所には「やっぱり!!」と書いてました。


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これが日本橋三越に今も残る全面照明型。

1990年のリニューアル時にも、デパート側の要望で昔の姿を残してあるのだとか。あっぱれ、三越のえらい人!


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1955年には部分照明型が登場。写真は新宿伊勢丹

乗る所だけ、ぜんぶ照明になってますよね。


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1956年には全透明型が登場。写真は池袋の名もなき雑居ビル。

これを見つけた時は自分でも執念だと思いました。実際、友達に呆れられながら写真を撮ったのですが、丸ボディかつひとり乗りをほおっておくわけにはいかないのだ。


丸ボディ愛がさらに強まる日本のエスカレーター史でした。


レポート3 ところでエスカレーターの構造は

さて、ここにきてメモが急激に少なくなっているエスカレーター構造に関する説明部分なのですが、なにかというと徐々に専門的すぎてよくわかんなくなっちゃったんですな!すみません!!これも私の持ってる資料にはばっちりいろんな設計図が載っているので部屋に見に来てもらえれば...


重要、かつ私がわかったところだけ抜き出してレポートさせてもらうと(ちょういいかげん)、まずは手すりの駆動方式に関する技術革新ですね。なにかというと、昔の手すりはこんなかんじでまわしてたんですよ(また手描きのすごい図登場注意)

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...えーっとなにかというと、下の丸いのがエスカレーターのステップ本体をぐるぐるまわしている駆動ユニットで、手すりのところはそこから動力をひっぱってきてぐるぐる回転させてたと、そういうわけです。

なので全透明型が登場する前まで、照明の中でなにをやってたかというと、こういう手すりまわすための駆動が裏にあったわけなんですが(推察するに部分照明型がなんで乗り口だけ照明になってるかというと裏にこいつがいるからですな)、あれ、全透明型になったら手すり駆動なくなっちゃったよ?というわけで、これ、どうしてるかというと、なんかうまいこと地下化する技術が開発されたそうですよ!!(エー肝心のとこがそれですかー!はい、すみません!むつかしくて全然わかりませんでした!)


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これは、手すり駆動があった時代を懐かしむレプリカ@秋葉原UDX


そしてもうひとつ、エスカレーターエポック的技術革新といえば、「中間駆動方式」の登場!...もう下手な絵は描きませんけども、上の図の丸いやつ、駆動ユニット部分が、降り口、あるいは乗り口の下のところについていたんですね。でも、これだと長ければ長いほどチェーン張力が増してしまって大変!とそこで、真中につければいいんじゃね?ということで登場したのが中間駆動方式!そのまんま!これの何が素晴らしいかというと


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みんな大好きロングエスカレーターを可能にしただけでなく、


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そう、あの踊り場つきエスカレーターをも可能にした技術なのでありました!

なるほどね~


レポート4 やっぱりスパイラルエスカレーター!

さて最後に、エスカレーター最大の謎といったらスパイラルですよね!


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エスカレーター大賞常連のスパイラル。きみは一体どうしてそんなに曲がっていられるのか!


世界で初めて三菱電機が開発したというスパイラルエスカレーター。何回説明を聞いても、何度見ても、不思議です。今回は、前から話に聞いていた、三菱の発想の転換、「中心移動方式」の採用というのがなんのことかは、わかりました。


要は、螺旋式を作ろうと思ったとき、みんなこういうふうに考えていたと。

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中心移動しない方式。でも、これじゃ駄目だと。(どうして駄目なのかだれか私にわかるように簡単に教えてください...)

で、三菱が考えたのが中心移動方式。要するにこゆこと。

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3つの点の間を徐々に、中心が移動することによって、なにかとうまくいくようになると。

...あ、中心が移動するってそういうことねー!ということは、よくわかったんですけど、やっぱり、どうしてそれでうまくいくのかさっぱりわかりません。ええ、根っからの文系です。


しかし、後藤先生がM社の方だからというのもあるのですが、スパイラルエスカレーターというのはプロの方にとっても特別な存在なのだなーというのがよくわかる、大変丁寧なご説明でした。

...さっぱりわからなくてほんとにごめんなさい。


まとめ:生まれて初めて勉強した、たぶん。

いやー、技術については知らないことばかり!と、わくわくしながら参加してきたんですけど、私が点として知ってることや、「これはすごいわーかっこいいわー」と愛でていたものたちが、線でがんがんつながっていって、ああ、なにかを学ぶというのはこういうことだったんだな...と25年生きてきて初めて知りました。エスカレーターに教わることはじつに多いです。

(ちなみにほかには、人脈が大事。とか、酒の席の大切さ。とか。)


まだまだレポートしてないことはあるんですが、それについては今後かっこいいエスカレーターを見つけた折々にでも、これはね...と蘊蓄として語ってゆきたいと思います。たぶん5年分くらいの蘊蓄を補充したので!