「美しい日本の景観 大山顕写真展」に行ってきた。
工場、団地、高架下建築、ジャンクションと、順々にみてまわって、最初に気づいたのは、ジャンクション写真の、私の撮ってるものとのあまりの違い。
ウェブのちっちゃい画面で観てるときは「やっぱり大山さんは写真うまいなー」くらいにざっくりとしか思っていなかったのだけど(ひどい)、細部まで克明に、ひとつひとつの部分を明るく撮っている夜のジャンクションは、じつは何十枚もの写真をつなぎあわせてできているものである。
デイリーポータルZに載っているその制作過程がおもしろい!
http://portal.nifty.com/kiji/121102158186_1.htm
だからジャンクションの写真だけは、行ったことのある場所でも「これはあそこ」と同定するのに少し時間がかかった。全体360度を平面につなげてあるので、大きな歪みが生じるわけだ。
フツウは魚眼レンズや超広角みたいな歪みやすいレンズをつかうときって、歪みによる効果(鼻のでかい犬みたいな)を期待してつかうわけで、たとえば私はエスカレーターの写真はなるべく標準レンズで撮るようにしている(広角で撮るとなんか実物よりも格好良くなりすぎるから)。
それが大山さんのジャンクション写真の場合、「細部をできるだけ克明に撮って、かつ全体像を明らかにしたい」という(たぶん工場を撮っているときの)欲望からたどりついた手法がつかわれていて、「対象物をそのまま見せたいがためにゆがませる」。それは私にはない発想で、自分がいかに「フツウの写真」の撮り方に縛られているかを思い知った。
私はジャンクションみたいな場所に行くとどうするかというと、「いちばん格好いい橋脚1本」に照準をあわせてシャッターを切る。全体を切り取ることはそもそも諦めているわけだ。私のカメラでは全体は撮れないから。
いや、これは写真のうまい下手や、カメラの高い安いとはべつの話なのである。
『工場萌え』は石井哲さんによる写真だが、私はあの写真集をみてから、初めて工場クルーズに参加したとき、実物の工場を見て「小さい!遠い!」とすごく感じた。それは工場クルーズが残念だったんじゃなく、いつもは対岸の島から望遠レンズで工場を狙っているという大山さん、石井さんが「きょうはすごく近くで見れて大興奮!」と言っていて、『工場萌え』の写真のほうが、「石井さんの持っている望遠レンズがすごすぎ」なだけだった。
ふつうのひとの写真に対するアプローチっていうのはだいたいそういうふうになるものなのだ。
ファインダーをのぞいて、"いちばんかっこいい構図"で撮るものなのだ。
工場やジャンクションを何十枚も撮って、編集ソフトでつなげて全体をみせるって、そういうソフトがあるって知ってても、やろうと思いつかない。だいたい、一体何時間かけてその1枚を完成させるのだ...。それは写真家が「最高の1枚」のために何十枚ものフィルムをつかうのとはぜんぜんちがうアプローチだ。
そんでもってしかも、そんな途方もない高精細の写真であることがウェブではほとんど伝わってなくて(すみません)、こうやって巨大なサイズにプリントして初めて気付かせるってほんと、どんだけの欲望の無駄遣いだ。
団地や、工場や、ジャンクションといった巨大なものの「全体を撮る」ことにずっとこだわっている大山さんとは、撮りかたが違うどころか、たぶん「見えてるものさえ違う」ことに、私は心底ショックを受けた。なんかそういうふうに、写真の可能性を諦めて、「見ていなかったものがある」ことが、もったいなかったなと心底思った。
そんなわけで師匠はすげぇとしばらく寝込んでしまった週末だった(風邪をひいただけですが)。