たった一人、自分しかいない世界の社会学『インターネットで死ぬということ』

インターネットで死ぬということ

過剰な自己愛で他人を振り回し迷惑かけがちな私にとって、北条かやさんの存在というのは他人事ではなく、「尊敬していた人からまっとうな叱りを受け、軽蔑される」という、我々にとって最もキツいシチュエーションを彼女がどのように克服しようと考えたか、興味がありました。  

結論から書きますと、「これからは、他人にどう見られるかとは関係なく、自分の欲望に素直になりたい」ということで、そう、その通りだよ、と頷いた矢先、その自分自身の欲望に忠実な行為と彼女が考えるものが「美容整形」だったのでのけぞりました。それは、ありのままの自分が認められず、理想的で完璧な自分像に固執してしまう、自己愛過多なひとの典型的な行動パターンではないですか。当然制止する人もいるのでしょうが、そうした他人の声を振り切ってこそ自分の欲望に忠実になれるのだ、というアクロバティックな論理展開。それらの矛盾や描写の不自然さを訂正せず単におもしろがる姿勢に、出版社の悪趣味を感じます。ライターデビューのきっかけを作ったのは元夫で、しかしDVを理由に離婚に至る、という、最も悲劇的でおそらく真摯に書けば文学的価値の高い逸話の部分が訴訟リスクがあるなんていうちっぽけな理由で丸々カットされているのも残念に思います。

自伝的エッセイ、となっているこの本ですが、おそらくかなり自由に執筆をされた結果、自分の行動の説明に、逐一社会学の文献が引用され、紹介されます。「先生の言ってることわかります。私も、こういうところがあって……」と、他人の論説を十分に咀嚼せずどんどん自分の話をしてしまうこの感じにはじつに身につまされる思いですが、これは自伝的エッセイの中に社会学の知識が挟まってるのでなく、社会学の論文の中に自伝的エッセイが挟まってるのだな、と考えるとすっきりしました。顕著な例では、たしか他の本で対談されたこともあるはずの中村うさぎさんの発言を「中村うさぎは……」と呼び捨てで紹介、さらには「……と中村は分析する」と急な論文口調になるのです。しかし社会学の論文として考えたら、そこで出てくる例はn=1、彼女たったひとりです。たったひとり、自分しかいない世界の社会学。なんという壮大な自己愛の世界。

インターネットという自分拡大装置は本当におそろしいなぁ、エスカレーター収集という多くのひとにとってなんの得にも損にもならない趣味を見つけてほんとによかったよ、と思うばかりなのですが、女のひとりとして率直に言わせてもらえれば、彼女個人の生きづらさを打倒するために「女性みんなで連帯できるはず」という希望については、それはちょっと、無理なんではないかなぁ、と思います。

 

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