自分が何者であるかわからないあの4年間をいまさらそっと抱きしめる『最後の秘境 東京藝大』

最後の秘境 東京藝大:天才たちのカオスな日常

自分で買っておいて読むのが辛くてしばらくおいておいた本だったのですが。読んでみた感想としては、辛いのは非常に陳腐で下衆で低俗な煽り文句の並ぶ帯(10万部突破バージョン)のみで、中身は多数の藝大生のインタビューをそのまま色眼鏡も脚色もなく収録したもので、おもしろかったです。著者ご本人に関しては、藝大生である奥様に関する記述についてだけやや「色眼鏡寄り」(うちの奥さんこんなわけのわかんないことをしててキュートでしょう?というような記述が頻発)ですが、それは色眼鏡というか単なる惚気でしょう。

私の大学生時代は「のだめ」と「ハチクロ」の熱狂と重なっています。そして私は明らかに「のだめ」派でした。この本の中にほとんど書かれていますが、クラシック音楽の分野で楽器の熟練といったら、2歳、3歳から始めていないと意味がない。練習を1日さぼるだけで大幅な遅れをとる。師匠の権力が絶大。楽器、衣装そのほか含めてものすごくお金がかかる(バイオリン科で1ヶ月の仕送り50万という記述が)。スポーツと同じで体力の限界があるので早く大学に入って早くプロとして活動し始めないと活動期間が短くなってしまう。などなど……。あらゆるトラウマをぶちこんだみたいな世界なのでして。私はその世界に、嫌悪感と共感と懐かしさを同時に抱えていました(のだめはそこに真正面から切り込んで、かつギャグにすることで音楽への愛をちゃんと救い出しているという、稀な作品です)。それらのエピソードは、「天才たち」などといって切り離して物見遊山で萌えられるような話ではなく、私の実体験と密に連携しているのです(その葛藤の一端を理解はできる、と言う意味で)。

この本には、正直鼻白むような、極端な悪ノリ、自意識の過剰な発露、どうでもいい奇行、というような「いかにも美大」で「いかにもハチクロ」な諸々も、「いかにも音大」な超エリート意識、親子の確執、師弟の確執もそのまんま載っているうえに、あからさまな天才萌え、職人萌えエピソードも出てきます。ただ一方で、音大ならピアノ、バイオリン、美大なら油絵、デザイン、というようなメジャーで「いかにも」な分野以外に、この本の中には、とても魅力的な漆芸専攻とか、鋳金専攻とか、ファゴット専攻とか、オルガン専攻とかたくさん出てきて、それが強力な癒しとなっています。読み進めるとめちゃくちゃあたりまえですが「藝大生にもいろんなひとがいて、いろんな人生がある」ということが、私の凝り固まった偏見やら何やらをほぐしてくれました。そしてそのように多種多様な学生たち全員に共通しているのが、「まったく将来に保証やあてがない」、つまり「自分が一体なにものであるのかがわからない」という1点なのでして、藝大生という一握りの天才が集う場所でも、それはまったく変わりがないのでした(そういう意味では、最後の秘境なんていうタイトルも帯と同様、最高にダサいとおもいます。ここには普遍的な「大学生」の生き様が書かれているだけです)。そしてそのことが、あらゆる大学生のあらゆる恥ずかしくて未熟でダサい行為を許容するように思います。私が未だ許容できないでいたあの恥ずかしい時代の、おかしてしまった失敗や、おかさなかった後悔のいろいろがたくさん詰まっていて、そのような、将来なんのためになるかもわからない暗中模索の闇雲で時間がとまったようだった4年間を初めて大切に思えました。

 

最後の秘境 東京藝大:天才たちのカオスな日常

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