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華やかな過労死『サプリ』

『サプリ』は新卒で博報堂に入社し、広告プランナーとして活躍される傍ら、漫画家としても執筆を続けていたパワフルな女性、おかざき真里さんの代表作のひとつである。

サプリ 1巻 (FEEL COMICS)

(以下多分にネタバレを含みます)

 2003年からの連載開始というこの作品、個人的には、大学生〜就活〜社会人1, 2年目というシーズンと重なっており、一般的には、(これはあっという間に「そんな本もあったね」という存在になってしまったが)酒井順子さんの『負け犬の遠吠え』(2004年)から発する「負け犬」ブームに重なっていた。

読んでいたときには、「結婚か、仕事か?」というのは女にとっての永遠のテーマにも思えていたものだが、2016年現在、問題はとっくにそんなところになく、「子育てしながら働くのは、大変です!!!」という方向に、そして「結婚できないかもしれない」という不安から「子どもを産めないかもしれない」という方向に、景気の悪化とともにきわめて現実的にシフトしてしまった。

そのうえで、『負け犬の遠吠え』と違って(引き合い出してすみません)本作が、未だ物語の構造としての強度を保っているのは、華やかな広告業界の華やかな恋愛模様をちょっとリアルに描きすぎたために、実質的なテーマが「過労死」になってしまっているからである。

たとえば、以下の記事や、この度亡くなられた女性のツイートとほぼ同様の内容は、本作品の中に「漏らさず全て」出てくる。物語の主要メンバー(女性4人組)は、世界的に活躍するカメラマンやら今をときめくクリエイターとさくっと切ない恋に落ちたりしてちょっと嫌味なくらいキュンキュンしているため、表向きは働く女性の恋愛漫画として成り立っているのだが、しかしそもそも「サプリ」=仕事のストレスを緩和し癒すためのもの=恋愛、であり、彼女らにとって仕事が主食、恋愛はおかずにすぎないことは、タイトルから明言されている。

今回の件を受けて他にも書いている人がいたが、主人公は制作局に所属するプランナーで、来る日も来る日も企画を書いて、鶴の一声で練った企画をひっくり返され、上司のミスの責任を押し付けられ、後輩の女子に「暗いうちに帰ったほうが楽だよ」と声をかける。

参考:電通新入社員が自殺 広告業界に蔓延するクソ長時間労働の根深い実態を書いておく : おはよウサギ!

そして、「結婚するか、どうするか!?」という物語の山場において、ひとり脇役の女性が登場する。この女性が、やはり表向き上は「ダメな男に引っかかって恋愛に失敗した」という理由で、しかし実質的には明らかな「過労」によりうつ病を発症し、自殺する。この「過労死」をきっかけとして、主要メンバー4人組がそれぞれ「このまま仕事をし続けていたら、マジで死ぬかもしれんな」と震撼し、それぞれの人生の舵を切るのだ。こんな恋愛漫画が他にあるか。

ところで、私はこれを読んでいた当時、電通のグループ会社の社員であったが(新卒研修で富士山にも登った)、ここで描かれる「このまま仕事をし続けていたら、マジで死ぬかもしれん」という不安に対して、共感とは真逆の圧倒的な現実離れ感にクラクラとしていた。

次々に大きな案件が降ってきて、残業代も出ていて、深夜のタクシー代も接待代も出ていて、同僚とのゴージャスなランチ代も、華やかなファッション、コスメ代も、自分でなんの苦もなく払えていて、メゾネットの広い部屋に一人暮らししている彼女らは、就活の圧倒的「勝ち組」である(主要メンバー中にひとりだけ「一般職」の女性がいるものの、実家が名家でお金に困っている風は全くない)。

月45時間までみなし残業の会社にいた(なので21時が定時)負け組というにも中途半端な私のその当時のリアルな「将来の不安」はそれでも、このまま女として働いていても給料は上がらず結婚しないことには生活が成り立たないのではないか、もしかするとこの会社はそのうちなくなるかも/リストラに遭うかもしれない、(残業代がないので)働けば働くほど時給が安くなる(コンビニバイトの方が給料良かったりするかも)、というほうに立脚していた。

ワタミでの過労死や、よく言われるようなテレビの制作会社、アニメイターらの皆さんの慢性的長時間労働の問題などとあわせて読めば、どちらのほうがつらいとか比較するなどしてはならないことだと思っているが、これは「普通の過労死」とは明らかに異質のものであるとは指摘しても構わないのではないかと思う。「働いても働いてもお金がない(からもっと働く)」というのではなく、「めちゃくちゃ稼いでるのにまだ働く」という状態は、より異常なように私には思える。

1991年に続いて再び起きてしまった事件に重い衝撃を感じつつ、今もう一度『サプリ』を読むと、浮き彫りになるのはすべての物語の「前提」の乖離感である。これを2003年当時の私は「そんな時代もあったのね」と読んでいたが、2016年にまた起きた、ということは、これは時代の違いではなく電通博報堂という広告業界(のなかでもごく一部)が根に持っている乖離感なのではないかと勝手ながら邪推する。次から次へと降ってくる案件。広告コンペという壮大な無駄。カリスマという言葉が未だ通用する制作現場。なにかがずれたその世界は、痛々しいまでに華やかである。