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闘病記録としての『トゥルーマン・ショー』

映画・アニメ・ドラマ 虚構日記

トゥルーマン・ショー [Blu-ray]

 

今年の芸能界ニュースで私にもっとも衝撃的だったものといえば、現時点でSMAP解散ではなく「ASKAの日記」騒動だ。

それは、元チャゲ&飛鳥ASKA氏が、統合失調症の一症状と思われる「集団ストーカー」「盗聴」の妄想に取り付かれ、取り付かれたまま周囲の制止も及ばずブログで(しかもはてなで)大公開したという騒動で、なにを見て妄想を膨らませてしまったのかという詳細までが有志によって明らかにされていたため、統合失調症についての理解を深める上で大変参考になるテキストになっていたのだった。
 
この『トゥルーマン・ショー』という映画は大ヒットしたので「それってトゥルーマン・ショーだね」みたいな、一種類型として語ってもいいくらいなんじゃないかと思うのだが、自分の生きている世界は、じつはテレビのリアリティーショーの中の偽りなのだ、というものである。
10年ぐらい前に観たときは私も純粋で、番組プロデューサーを悪とする、テレビ番組のヤラセや過激さ、感動の強要をシニカルに批判する映画なのだ、というふうにこれを観たのだが、10年たって、かつ「ASKA後」の私には、これは統合失調症の発症と闘病の記録を描いたものにしか見えなくなっていた。
 

 

 

制止するひと、監視するひと

トゥルーマン・ショーの結構重要なところは2つあって、ひとつは巨大なスタジオセットの天井から照明器具が落ちてくる、その時点から物語がスタートしているということ、そして主人公であるトゥルーマンは結局、そのスタジオセットの外の世界には一歩も出ないということだ。私たちはスタジオセットの外の「リアル世界」にいる者のひとりとして彼を観ているつもりでいるが、じつは外の世界こそがトゥルーマンの妄想で、外にいる人など存在しない、という見方がこの2つのポイントからはできてしまう。となると、私たち観客は外部から彼を観察しているのではなく、妄想と現実がごちゃまぜになった彼自身の、患者たる彼しか持たないはずの視点や、回想、頭の中の考えをすべて共有する、もっと近くて生々しいポジションに立たされているわけだ。
 
空から照明器具が落ちてくる、という出来事から、彼の「盗撮妄想」はスタートする。いかにも作り物っぽくみえる街並み。なにかを隠しているかのように不自然な挙動をみせる街の人々。それはすべて彼の目を通してデフォルメされた世界である。
彼がその妄想を確信に変え始めると、身近な人々はうろたえ、彼を「外」に出さないように必死で制止し、行動を監視するようになるのだが、それはもう、私たちが「ASKA騒動」で見た通りの周囲の人々の反応にそっくり重なる。彼を愛する妻は、奇怪な言動ばかりとる彼に対して「こんなのもう耐えられない!」と泣き出してしまうのだけど、闘病を支える家族への同情を禁じえない。
 

乗り越えられなかった父親の死、初恋の人との別れ

彼にどんなきっかけがあったかについても映画内ではっきり言及がある(ASKA氏の場合はどう考えても薬のせいなんですが)。
ひとつは自分に非のある父親の死。もうひとつは、淡く消えて二度と会えなかった初恋の人との思い出。彼は妄想の中でお父さんに再会してしまう。しかし、想い人のほうは、そう都合よくはあらわれてはくれない。顔や姿を彼がはっきりと思い出すことができないからである。だから、彼は彼女が残した「フィジー」という手がかりを元に、「外」の世界へと漕ぎ出していく。
 

分身としての番組プロデューサー

彼の妄想を否定せず「真実だ」とはっきり認めてくれる、彼にとって味方である人物は、まずは想い人である彼女、「外」の世界の観客たち、そして、悪の権化のように描かれているこの番組のプロデューサーである。
では、その見ている大勢とは一体誰なのかというと、自分自身の声のエコーのようなものでしかない。
番組プロデューサーはその中で最も強固に彼を支持する。「外の人間」と話をするのは結局、プロデューサーただ一人。彼にとって、自分の分身のような存在なのかもしれない。
 

またしても三途の川としての水辺

トゥルーマンの住む街、シーヘブンは離島であり、外に出るには橋を渡るか、船に乗るかしかない。父の死をきっかけに「水辺恐怖症」を患っていた彼だが、それを乗り越えて船を漕いでゆく。
映画の中の水辺はなぜこうも「死者」に近い場所にあるのか、というのは水辺の映画まとめでまとめた通りなのだが、ここでもまたご多聞にもれず、彼が漕いでゆく海は(海だけど)三途の川でしかない。たどり着いた果ての地で、階段をのぼった先の出口、ドアの向こうは真っ暗だ。でも彼は、自分自身との厳粛な対話の後、初恋の人に会うため、出て行く。
その先どうなったのかは少しも描かれていない。