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8/12 C92 土曜日 東5ホール ヘ-39b 「東京エスカレーター」出展のお知らせ - TOKYO ESCALATOR BLOG

 

残された者として、どう生きるか- 映画『オデッセイ』

火星にひとり取り残されたマーク(マット・デイモン)が、絶望的状況の中でも希望を失わず、生還に向けて努力する話。

軽快なディスコ・ミュージックが常に流れるSF、というちょっと新鮮なジャンルで、クスクス笑いも漏れ、楽しく鑑賞した。

www.foxmovies-jp.com

 通信の遮断

この作品と真っ先に比較するなら『ゼロ・グラビティ』なのだけど、最近の宇宙を舞台にしたSFで、もっとも人々の不安を煽るのは、無重力でも、空気がない、ということでもなく、「通信手段が一切絶たれる」ということだ。ゼロ・グラビティのライアンも、必死で地球と通信しようとし、ほとんど言葉の通じない人物と「つながる」ことだけで、大きな安堵を得た。
マークが食料の確保と同時か、あるいはそれより早く、やろうとしたことも、地球との通信手段の確立である。それほど、「誰とも通信できない」状態は、現代人共通の巨大な不安なのである。そこはさすがのリドリー・スコット、「すべての情報が全世界に即時に公開されるせいで身動きがとれない」、通信過多のNASAと綺麗に対比させて、少しずつ「つながり始める」喜びを表現する。
それが前半部分。
 

たったひとり、残されるということ

地球との通信が確立できたあとの後半部分では、マークを火星に置き去りにした仲間たちとの交信もまた、できるようになる。
この、仲間たちの置かれてる環境が特殊で、ジムまで完備した非常に快適な宇宙船なのだが、地球との交信は32分おきであり、船内は浮かんで移動するし、非常に静かだ。ここで彼らは数ヶ月、あるいは数年をたった数人のクルーで過ごす。ものすごく「浮世離れ」している。ここではなんとなく『2001年宇宙の旅』を思い出す。
火星に残され、死んだことになっていたのはマークのほうなのだけど、だんだん彼らが「天上のひとびと」に見えてくる。マークはひとり残された火星の船内で、仲間の遺していった品物をひとつひとつ確認しながら、そして船長の遺した趣味の悪いディスコ・ミュージックを終始流しながら、彼らを感じ続ける。遺品から亡き人たちをしのぶ行為に、それはそっくり重なる。
ゼロ・グラビティ』のライアンは、具体的で非常に大きな喪失を背負って生きている人だったけど、本作でマークの置かれている「火星にたったひとり」という極限状態も、「大事な人たちを一度に喪ってしまったこと」と置き換えたら、SFでなくとも、誰にでも起きうる身近な、そして巨大な喪失であると言える。そして、そんな状態に陥ったとき、どうやって生きていくか?
 
そんな、現代人にとってのふたつの大きな「不安」を、軽快なディスコ・ミュージックとともに描く、とてもおもしろい作品なのだった。

 

火星の人〔新版〕(上) (ハヤカワ文庫SF)

火星の人〔新版〕(上) (ハヤカワ文庫SF)