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自分自身の尊厳のために誰かを愛すること - 映画『キャロル』

映画・アニメ・ドラマ 虚構日記

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これは恋愛映画ではない。
誰かを愛することで、自分が自分らしくあるための覚悟を描いた、美しい映画。

 

 

 

愛に迷いのないひと「キャロル」

人妻のキャロル(ケイト・ブランシェット)が若いテレーズ(ルーニー・マーラ)と恋に落ちる話、ということで、弱い親の系譜が観られるのではないかと思っていた。
女としての自分を捨てきれない母親、「母親たれ」という世間の目に反発する母親が、子ども、特に自分の分身たる娘を愛せず、家庭のほかに想い人をつくることで家族を「裏切る」行為に出る。そんな物語。
しかしキャロルは、自分に「よき妻」であることを強いる夫やその家族を受け容れることはけしてできないまま、一人娘をこよなく愛し、「よき母親」たらんとし、「よき母親」であることに誇りを感じ、そのことに生きがいを強く抱く、無償の愛情をもった強い母、偉大な母として物語に登場する。
娘を夫に奪われた彼女は、その悲しみから逃れようとテレーズと長いドライブに出かけるのだけれど、テレーズへの愛が深まるにつれても喪失感は少しも癒えないし、むしろ互いに絡まり合って補強しあうような関係にあって、「どちらかを選ばなきゃと苦しむアンバランスな女性の物語」からも、完全に逸脱するのだ。
キャロルにとって、娘を愛することと、テレーズを愛することは、どちらも等しく大切なことで、時として女性に強いられるような「自己犠牲」のうえに成り立つ愛ではない。
 

男性の視線を否定する「テレーズ」

方や、富も人間的魅力も十分にそなえた人物であるキャロルに「天から落ちてきたよう」とうたわれるテレーズは、その賞賛に反して「純朴」で「垢抜けない」キャラクターとして描かれている。自分を着飾ることに無頓着であり、二人の男性に熱心な求愛を受けていながら、煮え切らない。
ここで私は、美形の思春期に「あえて、着飾らない」という系譜を書き加えることができるだろう。美しすぎる人々は、ロリータしかり、半ば無意識のうちから自分を最大限魅力的にみせる術、自分の美によって相手を翻弄する術を備えているものだが、テレーズはそうした他者からの好奇の視線に対し、半ば拒絶する勢いで、戸惑っている。自分自身の魅力を知りつつ「あえて」着飾らず、素朴な雰囲気を身にまとって兼制している。
ルーニー・マーラを「オードリー・ヘップバーンのようだ」とする評があったけど、そのとおり、テレーズは隠しきれない人間的魅力を内に秘めたニンフェットだ。
そして、「男性」の目を通して見た魅力を、全力で否定する。
 

「恋愛」よりもっと美しいもの

だから私は、キャロルがテレーズを求め、テレーズが徐々に自分を解放していく過程に、「恋愛」から想像するようなときめき、憧れ、なんていうより以上の、もっと美しいものをみるのだろうと思う。
他者からの賞賛からではなく、自分自身の尊厳として、自分の美しさを知ること。自己犠牲ではなく、自分自身の尊厳のために、誰かを愛すること。
この映画で描かれている愛は、「同性同士の恋愛」という枠をはるかに凌駕した、深く重く、美しいものである。
 

キャロル (河出文庫)