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思春期特有の奇妙な友情、父の不在、そして鈴鹿ひろ美の謎 『あまちゃん』

映画・アニメ・ドラマ 虚構日記
あまちゃん 完全版 Blu-rayBOX1

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魔法少女としてのアキ

魔法少女の系譜をまとめていて思ったのだが、日本人は魔法少女が世界を救う話がとても好きだ。北米の少女たちが心の拠り所にするであろうディズニープリンセスたちを参照しても、異能の少女が世界を救う話というのは出てこない。囚われた姫が助け出される話はあっても逆はない。もっとも、最近ではフェミニズムの観点から、囚われた姫が自力で脱出する話が主流になってきているが、あのアナ雪でさえ、エルサが救うのは世界ではなく自分自身であり、自己再生の物語という形をとる。

あまちゃんも、自己再生の物語として語られがちだが、ユイちゃんはともかくとして、アキは、じつは最初から何も損なわれていないし、最後まで何も変わっていない。そのことは、アキの母である春子さんが正確に指摘している。

※本稿すべてセリフうろ覚えですすみません

アキが変わったんじゃなくて、みんなが変わったんだよ。ここで、みんなに好かれたね。(うろ覚え)

 世界を救うタイプの魔法少女は、何も損なわれていない、純真な少女である。これは重要なポイントだ。

東京で「地味で暗くて向上心も協調性も存在感も個性も華もないぱっとしない子」だったアキは、北三陸に来て「訛り」と「潜水技術」という異能を手に入れ、北三陸の人々に(そして日本人全員に)好かれる魔法少女となって、北三陸の街を再生する。

電車で行こうとするととてつもなく面倒な地、北三陸に、「わざわざ面倒な手段で」やってくることによって、ある種の異界に突入したのである。

構造としては『千と千尋の神隠し 』によく似ている。

 

美形の思春期としてのユイ

平凡で天然で、まっさらでまっすぐに進んでいくアキに対して、親友ユイちゃんは、100年に1人の逸材と言われる「持って生まれてしまった人」である。そのためとても屈折しているし打算的だし、あらゆる壁にぶつかって崩れまくる人としてドラマに登場する。

ユイちゃんの持っている才能は、アキが身につけたような異能ではない。言ってみるなら、アキの持っている才能がオンリーワンなら、ユイちゃんはナンバーワンなのであって、「ひととは違う能力を持ったひと」ではなく、「ひとよりもとび抜けて優れているひと」なのである。

だからユイちゃんの青春は、魔法少女としてではなく「美形の思春期」の系譜に数えることができる。

根性や努力、素直さ、純粋さがもてはやされる青春ストーリーの大半において、「あらかじめ持って生まれてしまっているひと」はとても分が悪い。

アキと出会ったことでユイちゃんのストーリーは変わり始めるのだが、それでもユイちゃんのポジションは、さしずめ、「アキによって倒されるべきライバル」でしかない。「ど根性のヒロイン」と「お嬢様なライバル」の主従を逆転させ、「お嬢様なライバル」目線で描いてみせた漫画としては既に、一条ゆかりの『プライド 』があるが、あまちゃんのプロットはそんな逆転にもなっていない。北鉄のアイドルとして最初に活躍していたユイちゃんは、アキの人気を認めざるを得なくなり、アキから奪った種市先輩をアキに奪い返され、結局東京で成功するのはアキだけで、結構壮絶な喧嘩をして和解して、そういうよくある「青春ストーリー」のセオリーにのっとった、「アキをひきたてるライバル」ポジションに終始しているのだ。

しかし『あまちゃん』を観た日本人のほとんどは、「単なるアキのライバルでしかないユイちゃん」にものすごく肩入れしてしまっていたはずだ。それは、アキにとってユイちゃんが、「単なるライバルではない、唯一無二の親友」だからである。単に、同じものが好きだったり、同じ境遇だったりするのではない、「まったく正反対な二人」だからこそ、その間にある友情は、ゆるぎなく深い。

思春期には、似た者同士で寄り添うのとはまったく別の、共感をベースにしないゆえの揺るぎない友情が存在する。そんな、思春期特有の「本当は理解しがたい奇妙な友情」が、このドラマが人々の心を揺り動かす巨大な源泉となっている。

 

父の不在の系譜

あまちゃん』でもう1点、主題的に描かれるのは春子とその母親、夏さんの間の確執である。母娘問題が浮き彫りになる関係としてありがちなように、春子の思春期には、漁師である父が不在だ。ついでに言うなら、母親が蒸発して大変なことになるユイちゃんの家も、お父さんが入院して不在の間に事件は起きている。

個人的に、弱い親の系譜として、この相似形の2組の母娘のストーリーは注視していたが、どちらも「母親の謝罪」で決着をつけるところには特に新鮮味はなかった。

しかし、一方で、同じく北三陸で「父不在」で暮らす春子とアキとの関係はちょっと画期的である。

ドラマに出てくるお母さんって、肝っ玉か病弱か、どっちかでしょ。あなたのお母さんは、どっち?(うろ覚え)

というのは、ドラマの中の鈴鹿ひろ美のセリフだが、アキはこの質問に答えない。どっちでもないからだ。肝っ玉か病弱か、あるいは「良い母親」か「悪い母親」か、ドラマにはどっちかのタイプの母親しか出てこないが、春子は「たぶんあまり良い母親ではないが悪くもない」という絶妙なポジションにいる。

娘を「地味で暗くて向上心も協調性も存在感も個性も華もないぱっとしない子」と評してはばからないし、あんたなんかアイドルになれるわけないでしょ、て物を投げつけたりする。最低だ。でもその言葉にショックを受けたあとのアキの心の描写はこうだ。

母があんなに理不尽にキレたことがかつてあっただろうか。

(回想シーン)

けっこうあった。母はちょいちょい理不尽にキレる女でした。(うろ覚え)

角田光代だったらその一言だけで原稿用紙30枚ぐらい書きそうな発言をアキはこんなふうにさらっと流す。親子二代ではなく、「三代」を登場させたことによって、海女になり、夏の相似形として生き始めるアキが、春子の弱い自我を守る強い包容力を持った「親」のような存在となっていく、不思議な関係になっている。

 

鈴鹿ひろ美というヒロインの謎

クドカンは、あまちゃんに出てくる登場人物たちの全員に感情移入ができるような、強烈で完璧な観客席を私たちに用意する。あまちゃんが終わって「あまロス」という言葉が生まれたが、その気持ちはとてもよくわかる。なぜなら、あまちゃんがあることで、世界のすべての人たちが全員、魅力的なキャラクターで愛すべき人物であるかのような錯覚が、しばらく私にもあったからだ。

私が驚愕したのは、アキの父親、正宗さん登場シーンだ。魅力的に描かれる北三陸の人々と違って、東京弁の正宗さんは見ていて終始なんだかイラっとする。このキャラは、私は嫌いだな・・と思っていたら、正宗さんはドラマの中でも「なんかイラっとするキャラ」として定着し、その独自のポジションで最後まで名脇役となるのであった。

実生活では、こんな風にある一人の人物に対して全員の視点が一致するようなことは起こり得ないのだが、『あまちゃん』にはそんな神のような視点の観客席が用意されていた。

だから『あまちゃん』では、登場人物の一人一人について〜〜なキャラ、と言い当てることができ、見た人なら全員「そうそう」と一致して、ぶれることはない。

ただし、薬師丸ひろ子演じる鈴鹿ひろ美をのぞいては。

 

鈴鹿ひろ美は、春子が東京でのアイドル人生を諦めるきっかけとなった人物として、物語の前編では姿をあらわさず、名前だけが語られる謎のキャラクターである。

後編でついにそのベールを脱いだあとも、キャラクターのポジションがはっきりとしない。

当初、何人もの付き人や運転手を解雇した「わがまま女優」と言われているが、実際にはスタッフへの差し入れを欠かさず女優業を淡々とプロとしてこなしている常識的な人であるし、付き人のアキに「普通のおばちゃん」と称されるが、寿司屋に毎日のように通う以外の私生活はずっと謎に包まれていて、謎に包まれたままいきなり結婚したりする。

そんなこのドラマ唯一、一貫してないキャラの鈴鹿ひろ美最大の謎は、音痴であったはずがいきなり素晴らしい歌を披露する、というところに結実する。そしてその謎も、結局のところ一体なんだったのか、全く明かされないまま、中年のダブル結婚式などというまったく見たくもない謎の展開に包まれて終わりである。

不思議〜。

あまちゃんの、力強く全開で日本人の心に迫ってくるストーリーのうち、よく解せないと思ったのは唯一そこだけだが、終始一貫して謎である、というのがクドカン薬師丸ひろ子への愛を語っているような気もして、一番おもしろい部分であるような気もしたのだった。