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共に生きることの感動 『おおかみこどもの雨と雪』

この作品については、リアルに子育てに奔走する人たちから「親が非常識すぎて全然感情移入できない」というような感想をよく聞いていたので、私は心して見た。親が子どもを不幸にしているのに、そのことに無自覚であわよくば作り手側が賛美すらしている作品、なんて私にとって悪夢でしかないからだ。

だが、見終わってみれば、「家族とはこうあるべき」という押し付けの幻想を全力でぶっつぶしにいく映画で、とても痛快であった。

 子どもを愛せない母親

前評判で聞いていたとおり、雨と雪の両親は随分非常識だ。考えもなしに学生の身の上でありながら子どもをつくり、年子で2人も生んで、自宅で助産師もつけずに出産し、田舎ならなんとかなるかもなんて甘い考えでまったく見知らぬ土地に移住する。「娘、雪による回想」という体裁をとっているし、携帯電話が一切出てこないので、私はこれを今よりだいぶ昔の、インターネットがない時代の話なのだな、と捉えたけど、そうでもないと、今では非常識で、考えられない行動ばかりとる、あまりにものを知らなすぎる母親に、現代の情報社会をがんばって生きているリアル母親な皆さんは苛立ちを覚えるのは致し方ないだろう。

※そういう方には映画『うさぎドロップ』をおすすめする。清く正しい子育て応援映画である。

 

ただ、「母親としてあまりにものを知らなすぎ、世間に疎すぎ、子どものことも考えずにいつもヘラヘラとしている」という、花の苛立ち属性は、この物語の構造上、必要なものだ。

 

「自分の子どもがおおかみに見える」という状態の相似形に、「自分の娘がイグアナに見える」、萩尾望都の秀作『イグアナの娘』がある。

イグアナの娘 (小学館文庫)

イグアナの娘 (小学館文庫)

この漫画に出てくる母親は、自らの出自によるコンプレックスから、それをそっくり受け継いでいる娘を愛せない。そしてこの母親はとても「常識的な人」だったので、母親なのだから当然愛すべき娘が愛せない、ということ自体に苦悩し、すべての原因を娘に押し付けようとしてしまう。

 

「自分の子どもがおおかみに見える」というのも、それと似たような状況だ。姉である雪の小さい頃は、素人でもADHDの症例を疑うような暴れっぷりである。母親は、そんな手に負えない娘が、人間の言葉で話しかけてもけして意思疎通できない「おおかみ」として見えている。自分の子どもなのに、自分には理解できない行動ばかりとることへの戸惑い。このおおかみが大きくなって、話の通じる人間になるのかおおかみのままなのかわからない、という、非常に強い不安。同じく構造上の必要性から「おおかみの子ども時代」を知っている唯一の存在である父親がものすごくあっさりと死んでしまうせいで、雪のことを理解するための手がかりはなんにもない。

しかし、花はなにを言われてもヘラヘラしてるような、いわば天然なひとで、自分が娘を愛せてないということ自体に対しては、悩む素振りを見せない。母親なのだから、家族なのだから、自分の娘のことはなんでも理解できるはず、可愛いはず、愛せるはず、という世間の常識は、時に母親を縛り、うまく愛せない、理解できない娘への拒絶や否定につながってしまう。でも花は、なんかいつもぼんやりしていて、「世間の常識」に疎く、同時に自由だ。だから、花と、雨と、雪とは、お互いにとって最適な関係を、「こうあるべきだ」という常識にとわられない形で常に模索しながら、共に家族として生活していく。

共に生きることの感動

親とはこうあるものだ、こうあるべきだ、という意見は、世の中に蔓延している。
脱線するが、ある日、電車の出口上のビジョンで、「育児ノイローゼ気味の母親がちょっと目を離した隙に子どもが交通事故で死ぬ」という、電車の中で見るにはものすごく重い映像を流していて、一体どんな企業がこれを?と疑問に思ったら、最後に「子どもを見守るのは親の責任です。 警視庁」とテロップが流れて仰天する、ということがあった。あらためて書いてみると、どんなSFホラーだ、と思うような話だが本当である。
極端な例を出したが、私は「親とはこうあるべきだ」という意見のすべてに猜疑的だし、「家族とはこうあるべきだ」という意見のすべてに辟易としている。
花はラストに自分で語るとおり、母親としては本当に、何もしてないひとである。ただ、そばにいただけ。共に生きただけ。世間からこどもたちを守るために、何かを変えようと立ち向かったり、奔走したりもしないし、逃げるし、向上心もない。なんの解決にもなってない。なんだけど、スクリーンから溢れ出る、「ただ、共に生きた時間の感動」に私はハッとしたのだった。弱い親の系譜としては、ここにまた、新たなパターンが生まれたように思う。親は、弱いし、何もしないけど、子どもは勝手に育つし、その時間を共にしたこと自体が喜びなのだということ。
 
最後に、この映画の個人的MVPは、雪の同級生、草平くんなのだが、思春期に悩み傷つく女の子の前には、その子だけの、どんなおとぎ話にも出てこないような完璧なヒーローが現れる、必ず。という点において、私には圧倒的にこの映画はリアルだった。