読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

雲田はるこ、親を赦す漫画『昭和元禄落語心中』

 
「あなたも親になればわかるわよ」という言葉は、反発する子に対するセリフとしてはあんまりだ。親になればわかる、それは確かにそうであろうが、言い換えればそれはつまり、反発する子が再生産されたということで、親になるとわかるのであろう感動や、愛や、幸福や、感謝や、様々な素晴らしいものと同時に、反発も、恨みも、不幸も、憎しみも、当然また生まれる。その人間の業というか、生き物の宿命といった、そういう連綿とした連なりを、拒む気持ちや、断ち切りたいという思いが、世の中の片隅にひっそりあるぐらいはいいのではないかと私は思う。

 

昭和元禄落語心中(1) (ITANコミックス)

昭和元禄落語心中(1) (ITANコミックス)

 

 

 

落語家、八代目八雲は、昭和最後の名人として、今まさに人生を全うしようとしている。しかし彼は生涯を独身でつらぬき、弟子もとらず、訳あって幼少期から家族同然に暮らしてきた親友の娘、小夏には、親の仇とまでに嫌われている。人から人へ、連綿と受け継ぐことによってその技術を伝承していく日本の伝統芸能において、弟子をとらないということは、自分の代ですべてを終わらせるという意味だ。「落語と心中する」とまで言い切って、八雲は頑なに「親になること」、自分の業を次世代に引き継いでいくことを拒む。物語は、八雲がそこまで頑なな理由を解き明かす、盟友助六との若き日の思い出と、ひょんなことからならず者の与太郎を気まぐれに弟子として抱えるところから動き出す現代との二軸で進行する。

 

雲田はるこの漫画に出てくる親は、とても弱い。『いとしの猫っ毛』には亡き母のことをどうしても赦せない主人公が登場するが、この母親も、親としてけして言ってはいけないことを自分の気まぐれで口にしたり、わがままな言動で子どもを振り回したり、けして「ひどい親」ではないが、脆く、弱い者として描かれる。

ダースベーダーみたいな圧倒的な悪として、畏怖すべき強大な存在として対立するのではない。だから尚更、赦せない。小樽篇は、そんな微妙な思春期の子どもの機微が描かれた傑作だ(BLだけど)。

いとしの猫っ毛 小樽篇 (シトロンコミックス) (CITRON COMICS)

いとしの猫っ毛 小樽篇 (シトロンコミックス) (CITRON COMICS)

 

 

しかし八雲が頑なに親にならない理由は、「親が赦せないから」ではない。

自分勝手で、女の弱いところを全部持っているような小夏の実の母親も。師匠としては身勝手すぎる理由で襲名を決めた七代目も。彼は、非常にあっさりと、赦してしまうのだ。「同じ親として」ではない。ただ、1対1の人間として、その弱さを認めるのである。

それは本当に強い人間にしかできないことだし、それを描けるのは、今のところ、雲田はるこだけなのではないかと私は思う。

 

現代篇はまだ続く。親になることを拒否した八雲が、最終的にどういう人生の最期を迎えるのか、とても興味深い。